ありがとう、小野伸二、そして、さようなら。




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「ありがとう、小野伸二、そして、さようなら。」

オーストラリアAリーグのウェスタン・シドニー・ワンダラーズFCに所属する小野伸二選手は、ホームにブリスベン・ロアーを迎え、自身のホームでの最後のリーグ戦となる試合を終えた。小野伸二はサポーターに残留を望まれながらもチームを退団する。

ゴール裏のサポーター席には、小野の似顔絵が入った大きな弾幕と、日本語で「ありがとう」と書かれたメッセージフラッグが掲げられ、試合会場では、小野伸二の5000枚のお面が観客に配られた。

小野の背番号21と同じ前半21分には、試合中にもかかわらず小野選手に感謝を告げるための花火と紙ふぶきが巻き起こる。後半終了間際に途中交代しピッチを後にする際には、スタンディングオベーションと拍手に包まれた。

Aリーグで、小野選手が試合で活躍する度に実況は「genius(天才)」と叫び、ネットのコメントにはそのまま「TENSAI」という言葉が使われた。

小野は、確かにオーストラリアの地に何かを残したようだ。

進化するオーストラリアサッカー

オーストラリアのサッカープロリーグであるAリーグが誕生したのは2004年のことだ。その頃のオーストラリアのメジャースポーツといえば、クリケットにラグビーそして水泳。サッカーは決して人気のあるスポーツではなかった。

しかしAリーグの誕生をきっかけに、少しずつではあるがサッカーの人気度は上がっていく。2006年にAFC(アジアサッカー連盟)にオーストラリアが加盟したことで、よりレベルの高いアジアのクラブチームと、あるいはこれまでは、大陸間プレーオフで勝ち上がることでしか得られなかったワールドカップ本大会への出場権を掴むきっかけが得ることができた。そして見事にオーストラリアはW杯アジア予選を勝ち抜きワールドカップ出場を果たす。

2012年には、Aリーグをさらに盛り上げるために、マーキープレーヤーシステムを利用してデル・ピエロやへスキーと言った、海外から知名度のある有名選手を相次いでAリーグに呼び寄せる。小野伸二もその一人だった。

小野伸二の貢献

マーキープレーヤーシステムとは、Aリーグが規定しているサラリーキャップ(チーム全員の年俸合計がA$210万以下にならなければならない)という制度の制約を受けずに、高額な年俸設定をした選手でも起用できるようにした仕組みのことで、集客力向上を目的としている。

小野が加入したウェスタン・シドニー・ワンダラーズFCは、2012年に創設したばかりという若いチームだった。それにもかかわらず、小野選手を中心としたチームはリーグ戦で勝ち点を積み重ね、リーグ参入初年度にもかかわらずレギュラーシーズンで優勝という結果を果たす。

小野選手は、見事にマーキープレーヤーの役割を果たしたのだ。ネット上では、Aリーグサポーターによる以下のようなコメントが見ることができる。

「マーキープレーヤー中で最も起用で成功したのは小野選手であり、小野選手が抜けた後に別のマーキープレーヤーが来たとしても、小野選手ほどの役割は期待できないだろう。」

かつて1993年にJリーグが発足し、ジーコやレオナルド、ドゥンガにストイコビッチなどといった有名で技術があり成熟した選手を加入させることで、Jリーグの促進や日本サッカーの技術基盤を創っていったように、Aリーグが今、その軌跡をなぞっているように思えてならない。

今からさらに10年後、Aリーグ出身の欧州で活躍する選手が登場してくることだろう。そのとき、オーストラリアのサッカーファンにとって小野選手は、Aリーグの基盤を作った人物の一人だと認識されているに違いない。僕たちにとってのジーコのように。

小野選手は6月からはコンサドーレ札幌の選手としてJリーグに戻る。

シドニー・ワンダラーズFCやAリーグの他のチームが、アジアチャンピオンズリーグを舞台として、小野選手が所属するコンサドーレ札幌と対戦し、見事に打ち勝つことが、小野選手への恩返しとなるだろう。

「ありがとう、小野伸二、そして、さようなら。」

さようならという言葉で終わるのは寂しいから、最後にもうひとつだけ追加させてくれ。

「ありがとう、小野伸二、そして、さようなら。ACLでまた会う日まで」


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